26歳にして鹿児島から上京すると決意した経緯①

まずはプロフィールと経緯を


26歳、女、独身


鹿児島のど田舎で真面目に慎ましく育つ。趣味は読書で休み時間になればずっと本を読むような子だった。

子供ながらにうちは他の家庭と比べて貧乏なんだなあ、と感じてた。

お金は無かったけどその分両親は時間をかけてくれて、寂しい思いや衣食住に困った覚えはないし、感謝してる。


でも自分は絶対に貧乏になりたくない、しっかり稼ぐ大人になりたいと言う強い意志が芽生えた。薬剤師になりたかったけど知能的にも家計的にも無理で、女でもそれなりに稼げそうだし、食いっぱぐれなさそうという不順な動機で看護師になることにした。



高校卒業後、県外の看護学校へ進学。その後近くにいて欲しいと願う両親を説得して中四国圏に看護師として就職した。あんまり都会すぎるのは怖いけど、遠くの知らない土地に行ってみたかった。


仕事は本当に大変だったし理不尽な事だらけだったけど、それなりに充実していたし、何より勉強しかしてこなかった世間知らずの私には社会人としての時間的・金銭的自由が本当に魅力的だった。


(高校・看護学校は規律も厳しくバイトも禁止だった。私はルールを遵守するタイプの人間だった。昔は)


奨学金返済の3年間のお礼奉公が終了し、当時の彼氏とは仲は良かったが結婚向きではないなーなんて思って、別れて24歳で鹿児島に帰ってきた。


いくつか鹿児島の病院の内定も貰ったが、ここで私は思った。


人生において仕事を辞める機会ってそうそうないんじゃないかな?

せっかくだから半年くらい休憩しよう!!!


ここから私の長い人生の夏休みが始まる(^ω^)



鹿児島に帰った日、立ち飲み屋で飲んでて仲良くなった隣のおじさんに知り合いの飲み屋(ラウンジ)のママさんを紹介してもらい、そこで働く事になった。



実は水商売は初めてではなくて、看護師時代に、彼氏と別れた勢いでコンパニオンに登録して月に数回出ていた事があった。

でもその時は時給だけもらうシステムだったから、営業もノルマも責任もなく、ほんとふらっと暇な時に出勤する感じだった。



ラウンジで働き生計を立てて遊びながら、次の就職先を探して半年くらいで看護師に復帰の計画だった。



お酒とお喋りとお金が好きで負けず嫌いな私にとって、水商売は正直看護師よりも向いてた。

もちろん、嫌な事もあったけど、看護師時代いくら頑張っても、逆に手を抜いても全く変わらなかった給料が、自分が頑張っただけ直接給料に反映されてやりがいを感じずには居られなかった。

そしてやっぱり、昼職で働く意欲がなくなって行った、、、